ボルドーの赤ワインと言えば、ワイン大国・フランスの誇る、誰もが知る銘醸ワインです。実は、ボルドーワインの発展には海を越えた英国との深い関係があったということをご存知でしょうか? 「クラレット」をキーワードに、その歴史を紐解いてみましょう。
POINT
クラレットとは?
クラレット(“Claret”)は、「ボルドーの赤ワイン」を指す呼び名として12世紀ごろから使用されている英語です。「明るい、澄んだ」を意味する“Clear”の語源となった、“Clarus”というラテン語から派生しています。
現在のボルドーの赤ワインといえば、深く濃い色調のイメージが強いと思いますが、当時の赤ワインは現在よりも発酵時間が短かったため色が淡く、今で言うロゼのような色合いだったので、このように呼ばれるようになりました。また、現在のボルドーワインと比べれば品質は低く、価格も安価で入手しやすいものでした。
ボルドーワインの歴史とクラレット
では何故、フランスのワインであるはずのボルドーの赤ワインにこのような英語の呼び名がついたのでしょうか?
実は、12世紀半ばから1453年までの約300年間、ボルドーはフランスではなく英国(イングランド)王領でした。
1152年、ボルドーを含むアキテーヌ公領の相続人であるアリエノール(Aliénor d’Aquitaine)が、後にイングランド国王ヘンリー2世として即位するアンリ=プランタジネット(Henry Plantagenet)と結婚したためです。
ボルドーのワインは海を渡って、英国(イングランド)に運ばれ、上述のようにクラレットと呼ばれて親しまれました。寒冷でワイン生産には適していないイングランドにおいて、ボルドーは重要なワイン供給地となったのです。
現代の感覚で言うと非常に不思議な気がしますが、ヘンリー2世がその約35年間の治世の間、今で言う英国本土(ブリテン島およびアイルランド)に滞在していたのは13年足らず。残りの約22年間は、今で言うフランスで暮らしており、そもそもフランス生まれである彼は英語は使わず、フランス語かラテン語を話していたそうです。これは、当時と現在では国の領土についての考え方が異なるためですが、非常に面白いですね。
ヘンリー2世は元々フランスのアンジュー伯(フランス南西部のロワール川流域一帯の領主)でしたが、1149年に父からノルマンディ公(フランス北西部ノルマンディ地方の領主)を受け継ぎ、1152年のアリエノールとの結婚でアキテーヌ公領を支配することになり、さらに母方の祖父がイングランド王だったため1154年にこれを受け継ぎました。このことによって生まれた、英仏海峡をはさんでイングランドからフランスの西半分に及ぶ広大な領土は「アンジュー帝国」とも呼ばれています。
しかし、ヘンリー2世の死後、フランス内の領地は徐々にフランス王に奪われていきます。
最盛期には、200隻以上の英国船団がボルドーにやって来て、秋と春にボルドーの「クラレット」を乗せ、ロンドンやブリストルなどの港に向かったそうです。その量は、当時の英国の全人口に年間6本ずつワインボトルを提供できる程であったと推定されているそうです。
ボルドーの港に集められるワインの交易量は14世紀初頭にピークを迎えますが、1453年に英仏の百年戦争がフランス側の勝利によって終わると、ボルドーを含むアキテーヌ地方はフランスに帰属することになりました。
なお、百年戦争はボルドー陥落によって終止符を打たれました。
フランス国王ルイ11世は、戦争終結後も英国とボルドーの取引を認めましたが、取引量が以前の水準に戻るまでには200年を要しました。
なお、当時のボルドーの主要な産地はグラーヴでした。現在の中心地となっているメドックが台頭してくるのは、17世紀以降オランダから優れた干拓技術がもたらされた後のことです。
「ニューフレンチクラレット」の登場
17世紀に入ると、ワインづくりに技術革新がもたらされます。例えば、それまではワインの品質を保ちながら貯蔵できるような容器がありませんでしたが、硫黄を使って木樽を殺菌することで、それまでよりもワインを長期間貯蔵したり運搬することが容易になりました。
そして、ボルドーグラーヴ地区のシャトー・オー・ブリオン(Château Haut Brion)の当時の所有者であった、アルノー・ド・ポンタック(Arnaud de Pontac)は、ワインづくりの高品質化のため補酒や澱引きなどの保存技術を生み出し、ワインの熟成を可能にしました。現在のボルドーワインにつながる、色調が深く長期熟成に耐えうる高品質な赤ワインづくりが可能になったのです。
この新しいタイプのボルドーの赤ワインは、「ニューフレンチクラレット」と呼ばれました。
シャトー・オー・ブリオンの「ニューフレンチクラレット」タイプのワインは、英国王チャールズ2世の酒蔵台帳にも記録されています。1660年から61年にかけて、169本ものシャトー・オー・ブリオンのワインが王家のゲストのために保管されていたそうです。この記録の少し後の1663年4月10日には、後に「イギリス海軍の父」と呼ばれるサミュエル・ピープス(Samuel Pepys)がシャトー・オー・ブリオンのワインについて次のような記述を残しています。
“a sort of French wine, called Ho Bryan, that hath a good and most particular taste that I never met with”(Ho Bryan〈原文ママ〉と呼ばれるフランスワインの一種を飲んだが、それは今までに飲んだことのない素晴らしくて特別な味わいのするものだった)
これは、新しいタイプのボルドーの赤ワインの味わいに当時の人々がどんなに驚いたかを知る貴重なコメントですね。ちなみに、価格は古いタイプの「クラレット」の3倍だったとか!
その後、17世紀後半には英仏の関係悪化に伴い、フランスワインの英国への輸出には高い関税が課されるようになりました。その結果、英国に輸出されるボルドーワインは、シャトー・オー・ブリオンを始めとして高品質で高価格なものに絞られていくようになりました。
それに伴い、クラレットという言葉も、語源となった色の淡いワインだけではなくボルドーの赤ワイン全体を指すようになっていきました。
クラレットはボルドーの赤ワインだけではない?
現在ではクラレットという言葉はあまり一般的に使われてはいませんが、その名残は今でも残っています。アメリカでは、ボルドースタイル(=カベルネ・ソーヴィニヨンを主体に、メルローやカベルネ・フラン、プティ・ベルドを補助品種として作られるミディアム〜フルボディタイプの赤ワイン)のワインの名称として「クラレット」が使用されていることがあります。
「クラレット」についてのまとめ
クラレット
・ボルドーの赤ワインを指して、12世紀ごろから英国で使用された言葉。
・元々は当時の色の薄い赤ワインを意味していた。
・現在は主にアメリカで、ボルドータイプの赤ワインの名称として使用されることがある。
ニューフレンチクラレット
・17世紀から作られるようになった、現在のボルドータイプにつながる高品質な赤ワイン。色調が深く長期熟成に耐えうる。
いかがでしたか?
今回はワインそのものというよりも歴史に関しての説明が多くなってしまいましたが、ワインづくりにもその消費にも、様々な政治的・経済的な背景が影響していることを垣間見ることができたのではないでしょうか。
ボルドーのワインを語る上で、その知名度を圧倒的に高めた「1855年のパリ万博での格付け」のトピックは欠かせませんが、今回はその前日譚とも言える、中世〜17世紀のボルドーワインをめぐる状況についてご紹介しました。
こうした歴史も踏まえて、ますますボルドーワインを楽しんでいただければ幸いです。
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飲料のブランディングや広報を経験後、J.S.A認定ソムリエ資格を取得。現在は都内で酒類・飲料メーカーに勤務。
知識ゼロから一発合格を果たした経験と歴史・文化の知識を活かして、ワインをわかりやすく解説します。